マザーテレサの「“ありがとう”とは」の言葉に出会ってから、自分の生き方を見直すきっかけになったという、動画(ある人の講演会)を観ました。
お話は ……………………………………………………
“「ありがとう」という言葉の反対語は何だと思いますか。” 「う~ん、何だろう」と考えましたが、いい言葉が出てきません。皆さんは何だと思いますか。答えが出ますか。
答えはですね、「当たり前」です。言われてみれば、そうですね。
例えば、食事の時に「どうぞ召し上がれ」と言われて、食卓を見てみると、ごはんと塩のみ。「え、どうしたの?おかずはないの?うちはそんなに貧乏だったの?」という不平不満な声が出ますよね。食文化が発達している日本人は、いつも美味しいおかずを食べているから、おかずが出てくるのが当たり前と思っている。
しかし、発展途上国の貧しい国に同じようにごはんと塩を出したら、「こんな美味しいお米をいただけるなんて、ありがとうございます」と喜んで食べてくれます。
食に限らず日々生活をしていく中で、こういった「当たり前」が過ぎていくことはたくさんありますね。豊かな日本に生まれて、知らず知らずのうちに当たり前の基準が高くなってしまっているのかもしれません。
ふと立ち止まって「それって本当に当たり前なのだろうか」って毎日じゃなくても、時々でもいいので考えてみるといいのかもしれません。日常生活の中にいかに幸せに満ち溢れているかということに気づかされます。豊かさに慣れすぎて忘れがちなこと、ふと視点を変えてみると、普段忘れがちな感謝も沸き出てくるかもしれません。
……というお話でした。
自分に置き換えて聞いていました。確かにそうだなぁと。置き換えて考えてみると当てはまるものがいろいろありました。
その一つに我が家の猫(ヒナ)は病気で全盲になり、肢体も不自由で人間の手を借りなければ生きられません。時には世話が大変で「勘弁してくれよ~」と思うときもありますが、やはりヒナも家族の一員です。生きていてくれてありがとうと思いますし、家族を癒してくれる存在で、あったかい気持ちにさせてくれます。うちに来てくれて「ありがとね」となぜなぜ(私)、ゴロゴロ喉を鳴らし目を細めてくれるヒナ。介護なんてなんのそのって感じになります。
身近なところでたくさんの幸せに触れているのに、すっかり忘れているのかもしれません。時々は今回聞いたこの話を思い出して、自分の心に問いかけてみようと思います。
工事部 uemoto